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大阪高等裁判所 昭和60年(う)320号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一〇月に処する。

原審における未決勾留日数中本刑に充つるまでの分を右刑に算入する。

原審における訴訟費用の全部及び当審における訴訟費用中証人宮本学に支給した分を被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人江頭幸人及び被告人作成の各控訴趣意書記載のとおりであるから、これらを引用する。

一  被告人の控訴趣意中訴訟手続の法令違反の主張について

論旨は、原審の訴訟手続には、法令の違反があるとして、種々の主張をするが、そのうち、「一 公判調書の証明力」に関する主張は、公判調書に記載された供述の証明力を争うもので、実質は事実誤認の主張であるから、のちに事実誤認の論旨に対する判断において一括して判断することとし、「四 召喚手続の違法」の主張は、公判期日に出頭した被告人に対し次回公判期日を指定告知すれば、それ自体で召喚状の送達があった場合と同一の効力があり、それ以上次回公判期日への出頭を命ずる必要のないことは、刑事訴訟法二七四条、六五条二項の解釈上争いのないところであって、所論各公判調書に次回公判期日への出頭命令の記載のないことは何ら違法ではないと解せられ、「七 証拠書類に対する証拠調の方式」に関する主張は、その趣旨が不明であり、「八 証拠物に対する証拠調の方式」に関する主張は、警察における証拠物の押収年月日を前提として、裁判所の押収番号の年度の記載の誤りを主張するものであって、右四、七、八の各主張の採用しえないことは明らかであるから、以下、その余の主張についてのみ判断を示す。

1  「二 公判調書の記載に対する異議申立」及び「三 訴訟指揮権」の項の主張について

所論は、原審の公判調書には、被告人が昭和五九年一月一〇日頃、同年二月九日頃、同年四月九日頃それぞれ書面で行った公判調書の正確性に対する異議申立に関する記載が欠落しており、また、原審は、被告人が昭和五九年二月二〇日付書面で行った訴訟指揮に関する異議申立に対し何らの決定をしていないので、右前者の点は、刑事訴訟法五一条、同規則四八条に、後者の点は、刑事訴訟法三〇九条にそれぞれ違反する、というのである。

所論にかんがみ、記録を調査してみると、原審記録中には、被告人が原審裁判所に対して提出したという各書面が編てつされておらず、公判調書上もこれらに関する記載が全く見当らないことは、所論指摘のとおりである。しかして、当裁判所が職権により行った事実取調べの結果によると、被告人から、その主張のころ、原審裁判所に対し書面四通が提出されたこと、右各書面のうち三通は、公判調書中証人の供述を録取した部分につき、当該証人に対する被告人の発問が正確に記載されていないとして、その部分を具体的に指摘し、今後は書き落とさないでほしい旨の希望を述べたもの、他の一通は、昭和五九年二月一七日の第六回公判期日において、被告人が証人に対する発問を裁判官に制限されたことに対し異議を申し上げるとして、詳細な理由を記載したものであること、ところが、原審公判立会の書記官は、右各書面に対する担当裁判官の明確な指示の得られないまま、結局これらを記録に編てつせず、従ってこれらに対する裁判所の判断も示されることなく終ったことなどの事実が明らかとなった。ところで、原審書記官が右各書面を記録に編てつせずに終った理由については、担当書記官と担当弁護人の記憶がくいちがい、その真相は必ずしも明白であるとはいえず、また、いずれの供述によっても、各書面が被告人の意思に基づいて撤回されたことを窺うことはできないので、原審裁判所の右各書面の扱いには問題の余地があり、少なくとも適切を欠く取扱いであるとの非難を免れない。もっとも、被告人提出の書面四通のうち、公判調書の正確性を論難する三通については、「異議申立」の表題はもとより、文中に「異議の申立」の記載も見当らず、前記のようなその文面に照らしても、すでに整理された公判調書の記載の正確性を争うというよりは、むしろ、今後はこのような不正確な記載をしないでほしい旨の希望を述べたものと認めるのが相当であるから(現に、論難の対象となった各公判調書の記載がその後も補正されていないのに、被告人からは、その後これらに対しそれ以上の不満が述べられた形跡はない。)、右各書面を公判調書の正確性に対する正規の異議の申立として取り扱わなかった原審裁判所の措置は、これを違法とまでいうことはできない。しかし、各書面のうち、原裁判官の訴訟指揮を論難する一通には、「異議の申立」という表題こそないが、冒頭に「異議を申し上げ」る旨の記載もあり、内容的に見ても、これを刑事訴訟法三〇九条二項所定の裁判長(官)の処分に対する異議の申立と認める余地が十分にあるのであるから、原裁判所が、被告人に対しその真意をよく確認しないまま、これを正規の異議申立として取り扱わなかった点は、違法のそしりを免れない。しかしながら、同条項所定の異議の申立は、「個々の行為、処分又は決定ごとに、簡潔に理由を示して、直ちにしなければならない。」ものであり(刑事訴訟規則二〇五条の二)、当該公判期日が終了したのち次回期日までの間に書面によってした被告人の前記申立は、右規則の規定に違反する不適法な申立として棄却を免れないものであったから、この点に関する原審の違法(訴訟手続の法令違反)は、いずれにしても、判決に影響することが明らかなものであるとはいえない。

2  「五 公判調書の作成・整理」及び「六 公判準備の結果と証拠調の必要」の項の主張について

所論は、(1)原審第三回公判調書には作成年月日の記載がなく、(2)同じく第二回、第四回ないし第七回各公判調書には裁判官の認印がなく、(3)公判準備に切りかえられた第一二回公判期日の証人尋問調書中「被告事件名及び被告人の氏名」の欄には、当日取り調べられた証人である「A」の氏名が記載されているから、これらの違法な公判調書に基づいて被告人を有罪と認めた原判決には、公判調書の記載に関する刑事訴訟法及び同規則の規定等(同法五二条、五一条、四八条、三〇三条、同規則四六条、四四条等)に違反する、というのである。

そこで、所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して検討するのに、記録に編てつされている原審第三回公判調書には、作成年月日の記載があり、第二回、第四回ないし第七回公判調書には、いずれも当該公判を主宰した裁判官の各認印があり、さらに、公判準備に切りかえられた第一二回公判期日の証人Aに対する尋問調書中の「被告人氏名」欄には、「XことY」の記載がある(但し、この記載の右横に、二本の縦線と立会書記官の訂正印及び欄外の「削三字」の記載により抹消された「A」の記載がある。)ことが認められるので、本件記録自体からは、原審公判調書に所論の瑕疵があるとはいえないけれども、当審において被告人から提出された原審の所論各公判調書のコピーには、いずれも所論指摘の瑕疵が存するので、右各公判調書は、少なくとも原審弁護人によって謄写された時点(記録によると、第二回及び第三回各公判調書は、第四回公判と第五回公判との中間である昭和五九年一月六日に、第五回ないし第七回各公判調書及び第一二回公判の際公判準備に切りかえて行われた証人尋問の調書は、いずれも当該公判期日と次回公判期日の中間である同年二月六日、四月三日、五月二日及び九月三日に、原審弁護人によって謄写されていることが明らかである。)においては、いずれも所論のような瑕疵を帯びたものであったものであり、その後当審への記録送付までの何らかの機会に、現在記録に編てつされている公判調書のように、加筆・訂正・認印されたものと認めざるをえない。

ところで、公判調書は、公判期日における手続の経過と内容を明らかにし、公判審理が適法に行われたことを証明するために、立会書記官の責任と権限において作成されるものであるが、立会書記官の署名押印と裁判長の認印によって完成された公判調書には、これに記載された訴訟手続に関する排他的な証明力が付与されているのであるから(刑事訴訟法五二条)、公判調書の記載は、すべからく正確・適正になされるべきであり、また、右正確性に対する担保としての訴訟当事者の異議申立権の行使に支障なからしめるため、法は、公判調書を「各公判期日後速かに、遅くとも判決を宣告するまでにこれを整理しなければならない。」としている(同法四八条三項)。しかして、右にいう公判調書の整理とは、調書の記載を完了した書記官が署名押印をすませ、裁判長ないし担当裁判官の認印を得ることをいうと解すべきであるから、公判立会書記官は、当該公判手続終了後速やかに遅くとも判決宣告期日までには、法定の記載事項を正確に記載して署名押印し、裁判長ないし担当裁判官の認印を得るようにしなければならないことは当然であるが、他方、右のようにして公判調書が公文書として完成し第三者の目にも触れうる状態になった以上、後刻書記官においてその記載に不足ないし誤りの存することを発見したとしても、これに加筆・訂正を加えることは許されないといわなければならない。

以上の前提に立って、まず所論(2)について検討するのに、被告人提出の第二回、第四回ないし第七回各公判調書のコピーには、書記官の署名押印は存するが裁判官の認印が認められないから、右各公判調書は、いずれも弁護人の謄写の段階では未整理であったといわなければならない。このように、裁判官の認印未了の段階で公判調書を弁護人の謄写に委ねることは、元来は好ましいことではないが、速記録の作成時期と次回期日の切迫との関係から、裁判官及び弁護人の事実上の了承を得て、便宜の措置として実務上時に行われており、本件の場合もおおむねそのような趣旨でなされた取扱いであろうと推測されないではない。そして、かかる場合、書記官は、その後速やかに、遅くとも判決宣告期日までには裁判官の認印を得る取扱いをするのが通常であって、現に本件の立会書記官三名も、当審の事実取調べに際し、具体的には記憶はないが通常そのような取扱いをしていた旨供述しているので、本件においても、所論各公判調書の認印は、おそらく判決宣告期日までには押捺され公判調書未整理の状態が解消されていたと推認してよいと考えるが、第二回公判調書が第四回公判終了後の謄写の時点でなお認印未了であったことなどを考えると、右各公判調書の認印が失念され、宣告期日以後に押捺されたのではないかという一抹の不安も拭い切れないので、このような場合の法律関係につき検討しておくこととする。まず、認印の時期が判決宣告後であったとすると、原審の訴訟手続には、公判調書整理未了のまま判決を宣告した点で違法があることになる。しかし、裁判長ないし裁判官の認印未了の公判調書といえども、その一事をもって直ちに全面的に無効のものと解すべきではなく、作成権者である書記官によって作成されその署名押印を経たものである以上、公判調書としては一応有効に成立し、ただ、刑事訴訟法五二条によって付与される訴訟手続に関する排他的な証明力を有しない(したがって、他の資料による反証が許される)だけであると解するのが相当である。しかして、本件における所論各公判調書には、原判決当時すでに書記官の署名押印があったことが明らかであるから、原審が無効な公判調書に基づいて判決をしたとはいえない。のみならず、右各公判調書は、後刻裁判官によって認印されることにより、事後的にもせよ刑事訴訟法五二条所定の排他的な証明力を取得するに至っており、現在の時点においては、原審が判決の基礎とした右各調書の記載の正確性が確認されているのであるから、各公判期日における訴訟手続の適法性に疑問を容れる余地もない。したがって、右各公判調書に対する裁判官の認印がかりに判決宣告後であったとしても、この点に関する訴訟手続の法令違反は、判決に影響を及ぼすことが明らかなものであるとはいえない。

次に、所論(1)の点につき検討するのに、当審において被告人から提出された原審第三回公判調書のコピーの作成年月日欄には、「昭和 年 月 日」というゴム印の押捺があるだけで、実質的にはその記載を欠くことが明らかである。しかして、右コピーには、立会書記官の署名押印及び裁判官の認印も存するので、右公判調書は、弁護人によって謄写された昭和五九年一月六日の段階で、作成年月日欄空欄のまま、刑事訴訟規則五八条一項に違反する文書としてすでに完成していたものと認められ、右文書完成後は、本来の作成権者といえども、みだりにこれに加筆したり、変更を加えたりすることの許されないことは、すでに説示したとおりである。本件においては、右公判調書完成後何らかの機会に、立会書記官において右作成年月日欄に加筆したものと認めざるをえないものであって、かかる書記官の行為の適法性を肯定するのは困難であるが、作成年月日欄空欄の公判調書といえども、書記官の署名押印と裁判長ないし裁判官の認印が存する以上、公判調書としての有効性に欠けるところはなく、ただ、その完成した年月日を証明することができないだけであると解するのが相当であるところ、本件においては、右公判調書が、判決宣告のはるか以前である弁護人による謄写の段階ですでに調書として完成していたと認められるのであるから、刑事訴訟法四八条三項所定の要請に欠けるところはない。所論は、作成日が明らかでなければ公判調書の正確性に対する異議申立権の行使に支障を生ずるとも主張するが、右の異議申立権は、当該審級における最終の公判期日後一四日以内はこれを行使することが許されているのであるから(刑事訴訟法五一条二項)、右のように解しても、異議申立権の行使に重大な支障を生ずるおそれはない。したがって、第二回公判調書の完成時に作成年月日の記載が欠けていた違法及びその後立会書記官がみだりにこれを補充した違法は、いずれもいまだ判決に影響を及ぼすことが明らかなものであるとはいえない。

さらに、所論(3)につき考察するのに、被告人提出にかかる立会書記官の署名押印及び裁判官の認印のある第一二回公判調書、並びにその記載上右公判期日と同一の日(昭和五九年八月一七日)に行われたことの明らかな証人Aに対する尋問調書等によれば、右各調書は、弁護人によって謄写された昭和五九年九月三日当時、被告人氏名欄に「A」という記載のなされたまま、公文書としてすでに完成していたと認められるから、その後立会書記官が右誤りに気付いて行ったとみられる右三字の抹消と「XことY」の加筆が法律上許されないものであったことは、所論(1)に対する判断として説示したところに照らし、明らかなところである。したがって、右証人尋問調書を、被告人(Y)に対する本件被告事件に関するものとして、その刑責の有無の判断の資料になしうるのは、後日なされた右抹消・加筆を除外し、弁護人によって謄写された段階における記載を前提としてもなお、右被告人氏名欄の記載が「XことY」の明白な誤記であると判断されうる場合に限られることとなる。ところで、記録によれば、原審第一二回公判期日に予定されたAに対する証人尋問は、検察官の申出に基づき公判準備に切りかえて行われたことが認められ、公判準備における証人尋問調書は、公判調書とは別個のそれ自体独立した公文書であって、一般の公判調書の手続部分と供述部分のような文書としての一体性がないのであるから、右証人尋問調書の被告人氏名欄の記載を他の者の氏名の明白な誤記と認めるのは慎重でなければならないけれども、本件記録によって認められる次の諸事実、すなわち、前記のとおり、Aに対する証人尋問を公判準備に切りかえて行う旨の決定がされた原審第一二回公判期日の公判調書は、立会の大西寛書記官によって昭和五九年八月二二日付で作成されたが、他方、問題の証人Aに対する尋問調書(被告人氏名欄に右証人の氏名と同一の「A」の記載があるもの)も、同じく右大西書記官によって右同日付で作成されており、右調書に記載された証人尋問の日、証人・裁判官・裁判所書記官・検察官及び弁護人の各氏名は、第一二回公判調書のそれと全く同一であること、第一四回公判期日において、証人Aに対する昭和五九年八月一七日(第一二回公判期日と同一の日)施行の尋問調書が、同年九月七日(第一三回公判期日と同一の日)施行の同証人に対する尋問調書とともに職権により取り調べられており、問題の八月一七日施行の証人尋問調書は、右九月七日付尋問調書の直前に編てつされていることなどのほか、同一の裁判官、書記官、検察官及び弁護人の列席する法廷において、同一の日に、被告人に対する関係で取り調べる予定の証人又はこれと同姓同名の証人が、他の被告人(しかも、右証人と同姓同名の被告人)の関係で取り調べられるようなことは、実際上はまずありえないきわめて稀有のことであることなどをも併せて考察すると、問題の証人尋問調書中の被告人氏名欄の記載は、「XことY」の明白な誤記と認めるのが相当である。したがって、右証人尋問調書は、その被告人氏名欄の誤記及びその後の違法な訂正にもかかわらず、本件における被告人の刑責の有無の判断の資料となしうるものであったというべきであり、これを有罪判決の証拠の標目中に挙示した原判決に、判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反があるとはいえない。

以上のとおりであり、所論(1)ないし(3)は、いずれも採用することができない。

二  被告人の控訴趣意中審理不尽の主張について

論旨は、要するに、原審裁判所が、被告人側のした副検事村上恕一及び医師宮本学両名の証人申請を却下した点が審理不尽である、というのである。

所論にかんがみ、記録を調査して検討するのに、記録によれば、原審第一三回公判において弁護人がした証人村上恕一及び同宮本学の各申請に対し、原審が第一七回公判において却下の決定をしていることは、所論指摘のとおりである。しかし、弁護人の右両証人の立証趣旨は、前者につき、「(1)被告人を取調べた際、否認する被告人に対して略式手続による旨申し述べて自白を迫った事実、(2)右に関連する事項」というのであり、後者については、「(1)被害者の創傷の部位の状態及びその原因、治療に要した時間、(2)右に関連する事項」というのであるところ、記録によれば、被告人の村上検察官に対する原判示第二の事実に関する供述調書二通は、司法警察員(四通)及び司法巡査(一通)に対する各供述調書とともに、原審第一四回公判期日において同意書面として取調べずみであること、右各供述調書中本件犯行に関する部分は、いずれも犯行を否認し、公判廷における弁解とほぼ同旨の内容であることなどが認められ、被告人自身も、原審公判廷において、村上検察官に略式手続で罰金ですませてやるから認めたらどうか、といわれたが、納得できないので否認を通したと供述しているのであるから、同検察官が被告人の供述するような取調べかたをしたか否かにかかわりなく、被告人の右各供述調書の証拠能力が否定されるいわれはないのであって、同検察官に対する証人申請を却下した原審の措置に、所論の違法があるとは認められない。次に、被害者B子の創傷の状況については、医師宮本学作成の診断書及び創傷診断書が、司法巡査作成の捜査復命書二通の各添付書面として、すでに原審で同意のうえ取り調べられており、これによって、同女の口唇部の創傷の状況は客観的に相当程度明らかにされていたのであるから、原審が、右各診断書の作成者たる宮本学の前記立証趣旨のもとにおける証人申請を却下したからといって、これが、合理的な裁量を逸脱した違法な措置であるとは認められない。もっとも、被告人が、捜査段階以来犯行を完全に否認し、被害者の受傷自体についても、同医師の診断書のほか客観的証拠による裏付けがない本件訴訟の特異性に照らすと、第一審裁判所としては、同証人を取り調べて、被害者の受傷の状況をいっそう明らかにするなど被告人の納得のいく審理を遂げるのが望ましい措置であったと認められるが(なお、当裁判所は、右のような観点から、同証人を採用して取り調べている。)右はあくまで原審に委ねられた裁量権行使の当否の問題に止まり、その故に原審の措置が違法となるものでないことは、すでに説示したとおりである。原判決に、所論審理不尽の違法があるとは認められず、論旨は、理由がない。

三  弁護人及び被告人の各控訴趣意中事実誤認の主張について

各論旨は、要するに、被告人は、被害者B子に対し、原認定のような暴行を加えたことも、同女に原認定のような傷害を負わせたこともない。原判決は、信用性に疑問の多い被害者らの供述等に依拠して被告人を有罪と認めたもので、事実を誤認したものである、というのである。

しかしながら、原判決挙示の関係証拠によれば、被告人が原判示第二の日時場所において、被害者B子に対し、同判示のような暴行を加え、同女に加療約七日間を要する口腔内挫傷の傷害を負わせたとの事実は、所論にもかかわらずこれを肯認するに十分であり、当審における事実取調べの結果によっても、これを左右するに足りない。

まず、原判決挙示の関係証拠によれば、本件犯行当日、被告人が被害者B子方に赴いたのち、警察官に逮捕されて所轄警察署へ連行される前後までの経緯のうち、次の諸点は、きわめて明らかなところである。すなわち、①被告人は、昭和五八年五月二六日、傷害罪による前刑の服役を終えて出所したが、かねて同棲関係にあったB子が、出所にあたり身柄引受人として現われず、また、電話で連絡をしても何らの応答をしてこないことに不安を感じ、同年七月一日夜、原判示甲野荘内の同女の居室前に赴いたところ、同居室内から人声がするので、付近の公園等で時間をつぶしたのち、右居室から男性(昭和五七年七月ころ同女が知り合い、被告人の服役開始とあい前後して同棲関係に入ったA。但し、被告人は、右の事情を知らなかった。)が立ち去るのを待って、再び同女方を訪れようとした。②被告人は、同女の従前の態度から、自ら声をかけたのでは同女に面会をことわられるのではないかと心配し、たまたま右居室付近で顔を合わせた同荘の住人D子に依頼してB子方のドアをノックしてもらい、D子の「お姉さん、開けて。」という声に応じてB子がドアを開くや、即座に同居室内に入り込んだ。③その後、D子は、同居室から三軒目の自己の居室に戻ったが、しばらくして、同荘一番奥のB子の居室の方からドタンバタンと物が落ちるような物音を聞いた。④他方、外出から帰ったAは、B子の居室内の物音を聞いて心配になり、近くに住む同女の母親(C子)方に注進にかけつけ、その報告を受けたC子は、直ちにB子方に電話をして、「警察に連絡してくれてよい。」旨の同女の意向を確認したうえで、同日午後九時五〇分ころ一一〇番の通報をした。⑤右通報に基づく指令によりB子方に急行した警察官(市川實外一名)に対し、同女は、被告人から乱暴を受けたので早く退去させてほしい旨泣きながら訴えたため、同警察官は、被告人から事情を聴取しようとしたが、被告人は、「何もしていない。」「何で帰らんといかん、俺の女房や。」などと言を構えて容易に退去しようとしなかった。⑥同警察官は、被告人と種々のやりとりをしたのち、同日午後一〇時半ころ、被告人を傷害の現行犯人として逮捕し、所轄警察署に連行した。⑦D子は、警察官がB子方に急行したあと、同女に謝るため同女方に赴いたが、その際同女が白いものを口にあてているのを現認しており、また、市川警察官も、B子がタオルを口にあてているのを現認している。⑧同日午後一一時半ころB子を診察した医師(宮本学)は、同女の口腔前庭部に加療約七日間を要する挫傷の存することを確認した。以上のとおりである。これらの事実については、被告人を含む関係者の供述がおおむね一致しており、被告人が一部これと抵触する供述をしている点(例えば、前記③⑦⑧の点)も、事件当事者と何らの利害関係のない第三者的証人たるD子及び中立的立場に立つ筈の逮捕警察官市川實の各原審供述や、さらには、医師宮本学作成の診断書、創傷診断書並びに同人の当審供述など高度の証明力を有する証拠によって、その証明は十分であると認めざるをえない。

ところで、本件の被害者B子は、前記のとおり、被害直後から、警察官に対し被告人に乱暴された旨訴えており、原審公判廷においても、居室内において被告人に対し、「通夜があるので明日にでも喫茶店で話をしよう。」「帰ってほしい。」と言ったら、「通夜に行くのとわしが話をしているのとどっちが大事や。」といわれ、これがきっかけで唇を殴られた、さらに、右膝から上を一回蹴られた、自分はこけていないが、その際食卓用の木の椅子が、かなり音をたて板の間に落ちた旨、原認定に副う供述をしているのに対し、被告人は、原審及び当審各公判廷において、「さっきの男誰や。」などとB子にたずねたりしている際、C子から電話がかかったのでB子に取りつぎ、何かごちゃごちゃ言うてるので、便所へ行った、戻ってまた話をしようとしているところへ警察官が来たが、自分は、その間B子に暴力を振るったことは全くない旨供述し、その捜査段階における供述も、おおむねこれと同旨である。このように、本件においては、他に直接の目撃者のいない密室内の犯行につき、被害者と被告人の各供述が完全に対立しており、所論は、種々の理由を挙げて、被害状況に関するB子の供述の信用性等を攻撃している。たしかに、本件については、B子の供述中に、虚偽ないし誇張に過ぎるかと思われる部分(例えば、被告人と初めて肉体関係を結んだ際の状況等)の散見されること、本件の被害状況に関するB子の供述中に、捜査段階以来かなり大きな変遷が見られること、B子の供述を側面から支えるべきA及びC子の供述中に、一部不明朗な点があること(例えば、Aについては、事件直前に被告人と出合い、自己の名刺を手渡した事実を何故か秘匿している点、C子については、B子との電話によるやりとり等に関しB子やAとくいちがう供述をし、関係人の尋問に対しても事実上黙秘することが多かった点など)、被害直後にB子が口を押えていたというタオルが直ちに押収されなかったばかりか、後日任意提出されたタオルについて血痕鑑定もなされておらず、また、被害者の口唇部の傷について写真撮影もなされていないことなど、事実認定上必ずしも看過し難い証拠上の問題点ないし捜査の不備と目されるものの存することは、所論の指摘するとおりである。そして、本件が、男女関係のもつれから発展した事件であり、被告人の服役中別の男性と関係を生じた被害者が、被告人の追及をかわし、さらには、被告人との関係を早急に断絶したいがために、ことさらに虚構の事実をねつ造して被害を訴えるということもありえないことではないので、これらの証拠上の問題点については、慎重な検討を必要としよう。

当裁判所は、かかる観点から、前掲B子供述の信用性等について種々の角度から検討を加えてみたが、右の問題点にもかかわらず、被告人から暴行を受けて受傷した状況に関する同女の供述は、基本的にこれを措信することができ、これと矛盾・対立する被告人の供述は、採用しえないとの結論に達した。

すなわち、まず、B子の被害状況に関する供述には、前記証拠上明白な事実として摘記した③⑤⑦⑧など有力な証拠上の裏付けがあり、また、前記①②④の事実の経緯に照らし、きわめて自然で素直に理解することができるのに対し、被告人の捜査段階以来の供述には、明白な客観的事実をもあえて否定しようとしたり、ことの成行きとして明らかに不自然不合理と思われる部分がはなはだ多く(たとえば、被告人は、D子により、警察官がB子方に到着する以前のこととして明確に述べられている前記③の点を、警察官到着後のことと強弁しようとしているし、前記⑦の点を否定する弁解にも、同様の無理がある。さらに、被告人がD子にB子方のドアをノックしてもらった理由としては、前記②の理由しか考えられないのに、被告人は、あえてこれと異なる不合理な弁解を試みており、また、C子からかかった電話をB子に取りついだのち、トイレに行くため室外に出た旨の弁解については、他人にドアをノックしてまでもらってようやく入り込んだB子の居室から、すでに友好的な雰囲気ではなかったことを被告人自身が認めている右の段階で退去すれば、B子からドアをロックされて閉め出されてしまうことが容易に予想され、被告人としてもこのことに思い至らない筈はないと思われる点で、やはり不合理・不可解というほかはない。)、その信用性には重大な疑問があるといわなければならない。そのうえ、本件は、被害者B子の側からすれば全く予想外の突発的な出来事であったと考えられるのであり、かかる事態に遭遇した同女が、突嗟の間に、全くの虚構の事実をねつ造して直ちに警察官に被害を訴えたり、医師をも巻き込んで一芝居打ったというような想定は、同女及びC子、Aの供述に存する前記のような問題点を考慮に容れても、きわめて不自然なものといわなければならず、また、同女の捜査段階以来の供述の変遷に関する前記の指摘も、突然予想外の暴行を加えられて驚がくした女性の被害状況に関する記憶の混乱として理解できないわけではないのであって、これをもって、同女が事実をねつ造して虚構の被害を訴えていることの有力な証左ということはできない。さらに、タオルの押収やB子の口唇部の傷の写真撮影をしなかった点は、捜査の不備であって、遺憾なことといわなければならないが、前記⑦⑧の点が、他の客観的ないし中立的証拠によって明らかに確認しうる以上、前記の点は、本件の事実認定を大きく左右するものではないというべきである。

最後に、被告人の「最初に自分がB子方前に赴いた際、中からワーワーいう声や悲鳴に近い声が聞えた。その後、同女の居室へ入った際、同女の右目が赤く、その周囲も赤かったので、男にどつかれたのかとたずねた。」旨の供述について一言する。右供述は、被告人がB子の居室に入室した段階で同女がすでに負傷していたことを示唆するものであり、医師の診断書等によって同女の受傷が確認されたとしても、被告人はこれに原因力を与えていないという弁解に通ずるものである。そして、当日、警察官がB子方に急行してきた段階で、同女が右目を赤くしていたことは、同女自身も認めているが、同女は、これを「肩こりから目が充血していただけ」であると弁明しているところ、もし被告人が想像するように、同女の右目の充血が被告人以外の第三者(例えばA)の有形力行使によって生じたものであり、医師によって確認されている口腔内前庭部挫傷の傷害も同様のものであるとすれば、虚構の事実をねつ造してまで被告人をざん訴しようとしたB子が、何故に口腔内挫傷の点のみを医師に訴え、右目の受傷についての被害を訴えなかったのかに関する合理的な説明に窮することとなり(もっとも、B子は、居室内で被告人から、右目の赤いことを指摘されたことを認めているから、同女としても、被告人来室の段階で被告人に気付かれていた身体の異常の原因を被告人の行為に由来するものと訴えることが躊躇されたのではないかとの説明が一応は考えられるが、もし、同女が、全くありもしない被告人の有形力行使の事実をでっち上げて、被告人の来室以前に生じていた受傷を被告人の行為によるものであると訴えようとしたのであれば、右居室内における右目の異常の指摘は被告人と同女以外に知る者は全くないのであるから、被告人との右のやりとりの存在をも否定して、当時存在していた身体の異常のすべてを被告人のせいにしようと考えるのが自然であろうと思われる。なお、B子は、原審公判廷において、当日Aに殴られたことはない旨明言しており、Aも、当日同女と夫婦げんかをしたことはない旨供述している。)、結局、前記被告人供述の示唆する第三者の有形力行使によるB子の受傷の可能性は、これを疑う必要がないことに帰着する。

以上のとおりであり、ぼう大な所論の指摘を逐一検討しながら記録を精査しても、原判決に所論の事実誤認があるとは認められず、各論旨は、いずれも理由がない。

(なお、被告人の控訴趣意の「事実誤認について」の項中、「八 違法逮捕、勾留延長」の主張の中には、被告人の逮捕勾留及び勾留延長並びにその間の被告人等に対する取調べが違法であるとする、訴訟手続の法令違反の主張も含まれているが、所論にかんがみ記録を調査しても、被告人に対する本件逮捕・勾留及び勾留延長の違法を窺わせる事由は、これを全く見出し難いし、被告人に対する取調べの際の村上検察官の発言の有無によって、被告人の捜査官に対する各供述調書の証拠能力が左右されるものでないことも、すでに説示したとおりである。)

四  被告人の控訴趣意中法令適用の誤りの主張について

論旨は、かりに被告人のB子に対する有形力の行使と同女の受傷が認められるとしても、本件は、単純な傷害罪として処断されるべき事案であるから、これを常習傷害罪に問擬した原判決は、法令の適用を誤ったものである、というのである。

しかしながら、原判決挙示の関係証拠、とりわけ、検察事務官作成の前科調書及び判決書謄本三通等によって明らかな被告人の傷害罪の前科の回数、内容(被告人は、昭和五二年以来、傷害罪により三回懲役刑の実刑に処せられているが、いずれも、些細なことに立腹して女性に激しい暴行を加え傷害を負わせた事実を内容とするものである。)、その余の前科歴などに加え、関係証拠によって肯認しうる本件犯行の動機、態様などを総合して考察すれば、被告人が些細なことに憤激してたやすく粗暴な言動に出る習癖の持主であり、本件も右習癖の発現として敢行されたものであると認めるのが相当であって、これと同旨の見解のもとに、被告人が「常習として」被害者B子に原判示暴行を加えこれに原判示傷害を負わせた旨の事実を認定したうえ、本件を単純傷害罪ではなく、暴力行為等処罰に関する法律一条の三(刑法二〇四条)所定の常習傷害罪に問擬した原判決の事実認定及び法令の適用は、これを優に首肯しうるのであって、原判決に所論の違法があるとは認められない。論旨は、理由がない。

なお、被告人の控訴趣意中「法令適用の誤りについて」の「二 証拠の標目」の項の主張は、その趣旨が不明であるか、全くの独自の見解に基づいて原判決の証拠ないし累犯前科の摘示の方法を論難するものであって、その採用し難いことは明らかである。

五  弁護人及び被告人の各控訴趣意中量刑不当の主張について

各論旨は、いずれも量刑不当を主張するので、所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して検討するのに、本件は、被告人が、(1)すでに大阪市淀川区福祉事務所から、生活保護の内払いつなぎ資金の交付を受けていながら、右事実を秘して岐阜市福祉事務所に生活保護開始申請をし、同事務所係官らを欺罔して、生活保護内払いつなぎ資金等名下に、合計六万五九五八円を同係官から騙取し(原判示第一の事実)、(2)かねて肉体関係のあった原判示被害者B子が自己を避ける態度を取ったことなどから、常習として、同女に対し、顔面右口唇付近を一回殴打し、また、右膝付近を一回足蹴りする暴行を加え、よって、同女に加療約七日間を要する口腔内挫傷の傷害を負わせた(同第二の事実)という事案であるところ、右第一の事実については、被告人が事実を認めて反省しているうえ、財産的被害が比較的軽微であり、右被害も弁償により事実上回復されているという情状があり、同じく第二の事実についても、これがかつて同棲関係のあった女性の変心に端を発した事案であって、被害者側にもある程度の責任があり、素手・素足による犯行の態様も必ずしも執ようとはいえず、被害の結果も比較的軽微であったことなどの、被告人に斟酌すべき事情が存することは、明らかなところである。もちろん、被告人に前記のような多数の前科があり、右第二の犯行は、被告人の常習性の発露としてなされたものと認められること、被告人が、右第二の犯行をかたくなに否認し、右事実に関する限り全く反省の情を示していないことなどの点からすれば、右各犯行に関する被告人の刑責を軽視することはできないが、前記の諸点に加え、原判示第二の事実の被害者B子は、当初から、かつて関係のあった被告人とのいざこざを表沙汰にしたくない意向を抱いており、被害現場に到着した警察官に対して告訴はしたくない旨申し出たけれども、警察に通報した母親の手前や素直に事実を認めなかった被告人の態度から、いきがかり上医師の診断を受けざるをえなくなったものと認められ、公判廷においても、「むしろ、このような結果になって気の毒」と思っている旨の感想をもらしていること、Aも、捜査段階以来、格別被告人の厳重処罰を望んでいないこと、被告人の原審における身柄拘束期間が一年半もの長期に及んだのは、一つには被告人が原判示第二の事実を徹底的に争ったからではあるが、被害者自身はもとよりC子やAの供述中に前記のように必ずしも、明瞭・明朗でないと思われる点が散見され、捜査機関による物的・客観的証拠の収集にもいささか欠けるところのあった本件の証拠関係のもとにおいては、合計六人の証人の取調べを終えて判決宣告に至るのに一九回もの公判期日を重ねざるをえなかった点を、被告人の責任のみに帰せしめるわけにはいかないことなどの諸点を総合勘案すれば、被告人に対し、懲役一年二月の刑を科したうえ、起訴後の未決勾留五四〇日のうち三四〇日のみを本刑に算入した原判決は、刑期及び未決勾留の本刑への算入日数の二点において、その量刑重きに失するといわざるをえず、破棄を免れない。

よって、刑事訴訟法三九七条一項、三八一条により原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書に則り、当審において直ちに、次のとおり自判する。

被告人の原判示各所為に法律を適用すると、原判示第一の所為は包括して刑法二四六条一項に、同第二の所為は暴力行為等処罰に関する法律一条ノ三、刑法二〇四条にそれぞれ該当するが、被告人には原判示各前科があるから、右各罪につき刑法五九条、五六条一項、五七条によりそれぞれ四犯の加重をし、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により重い原判示第二の罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重をし、他方、すでに指摘したような犯情を考慮し、同法六六条、六八条三号により酌量減軽をした刑期の範囲で被告人を懲役一〇月に処し、同法二一条を適用して、原審における未決勾留日数中本刑(但し、本裁判確定により法定通算されるべき日数を控除したもの。主文第三項にいう本刑も、右の趣旨である。)に充つるまでの分を右刑に算入し、原審及び当審における訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松井薫 裁判官 村上保之助 木谷明)

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